はじまりは手芸雑誌。

「それを見た時”これがオレの将来の仕事になるかも知れん”と強烈なインスピレーションを得たんですよ。」

忘れもしない19歳の時、福島区野田の阪神商店街の小さな書店で手芸雑誌を手に取った事が、この道のはじまりだった。

19歳のとき半分プー太郎、半分デザインの専門学校生、グラフィックデザインを学んでいた氏は、しかしクラフトの本に出会った時、グラフィックデザインの仕事は「おれの仕事じゃない」と勝手にいいわけを作って、クラフトの世界に逃げ込んだと語る。

「本を見ながら、見様見真似。
ほぼ独学でクラフトの道を切り開いた。人の作っているものを横目で覗きながら、技術を盗んだ。何も分からなかったから”なんでこんなことができるんだ!?”と思い、自分にはそれをできないことに腹立ちながらも、とにかく家に道具を揃え、独りで本を見ながら作っていました。」


「手っ取り早く実を採ろうとはしなかった。
土を耕し、種を蒔き、水をやり、時間をかけて育てるように、こつこつと技術を身につけていった。えらそうな事を言うつもりは無いけど、ダメになっちゃう人とはそこは違ったのかなと思う。」


師匠の元について教えを受けるわけでもなく、当時はアメリカの専門雑誌が存在する事も知らなかった氏が、日本の手芸雑誌から独り勉強をはじめたクラフトの世界。それが今日まで続くクラフトマン窪田 敦司を作り上げている。

「僕は諦めが悪いから続けて来られた。
そのおかげで今でも続いているし、独学の部分もだからこそ続けてこられた。
いまでこそ思う”継続は力なり”。

ちょっと偏執狂の気があるかも、好きなことをみつけると「それだけ」になっちゃうんですよ。
でもだからずっと続けてこられた。」


そしてこう付け加える。

「人生に於いても大事なこと”諦めるな”。」

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