外国人伝統文化継承者
はじめはトレーダーとして、ラコタのクラフトを輸入して日本に紹介するという所からラコタとの関係が始まったわけですね。
それがどのような流れで外国人伝統文化継承者となり、そして現在活動されているビーズ細工職人へとなっていかれたのでしょう。

居留地でホームステイをしながら、現地で伝統文化を広める活動家を訪ね歩きました。日本人を見たこと無い人ばかりで、彼らの文化に興味があるだけで、どこへ行っても大歓迎されました。
当時ラコタは、自文化の誇りを復興する機運が高く、クラフト面も充実していて、買い付けに苦労はなかったです。

そんな折、文化継承者の恩人と出会い、彼女に「現在のラコタは良い具合にいっている。でもこれは一時的で、すぐに廃れるだろう。あんたにはラコタの文化を研究して、外国人継承者として伝統を引き継いでもらいたい」と頼まれました。

最初、作家たちの制作意欲が盛んで、自作は考えませんでした。しかし、年々細工が粗悪になり、売れない、売れないとやる気が出ないの悪循環に陥りました。それで、幾度も講習会を開き、個々の作家を訪ね、何が・どこが悪いのかを説明して回りましたが聞き入れられず。その頃、多くの業者がラコタに入り始め、即金になることから、うちへの商品が他業者に流れるようになりました。ますます粗悪化し、ラコタの独自性も失われました。

修理のためにビーズ技術は独学していました。恩人に「技術は過去の作品などで自得しなさい。大切な精神面は私や友人が教えるから」と言われていたからです。それで自分でサンプルを作ってラコタに持参し、「これは伝統文化を壊していない。むしろ昔の作り方だ。こういうのを作ってほしい」と提案に奔走しました。しかし素材を厳選し、丁寧に作ったことで作家たちより良い制作になり、逆に作家たちの反感を買ってしまい…。
落ち込み、やめようと思った頃、恩人や友人たちに励まされ、自分の制作の日本とアメリカでの販売を決意しました。

恩人は大変気に入ってくれ、「私のファミリーネームを使いなさい。あなたは私のファミリーだから」と言ってくれました。

ラコタの友人達は、生まれた子供のヘソの緒を入れる、一生のお守りとして大切なベビーコード・タートルを「ヒロの作る物には魂がある」と、制作を依頼してくれるようになりました。

こうして外国人文化継承者に自分を任じ、活動を始めました。
でも、部族全体が歓迎したわけではなく、酷いことを言う人もいました。今も変わってないと思います。
しかし目標として、ラコタの心ある作家を見付け、彼らに僕の「伝統文化のエッセンスを変えず、より現在の服装に合う物作り」という考えを引き継がせたいと思っています。目標に到達できた時、きっと分かってもらえると信じています。仮に皆に分かってもらえなくても、今は故人の恩人が喜んでくれたら、それでいい。

ラコタ細工は日本で売れたかというと、最初の二年ほどは全くでした。インドやメキシコのビーズのイメージが強くて。営業努力が実り、そのイメージが抜け始めた頃には、資金力のある業者が入りだし…。かなり貧乏くじでした。
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