太古の記憶を求めて
「脳漿鞣し」との関わりの中で、猟関係者などとも繋がりが広がっていったわけですが、今度は自ら猟まではじめられたそうですね。技法の復活作業に続き、今度は狩りへのアプローチです。
これは本当に大変なことだと思うのですが、どの様な経緯があったのでしょう。

自分で狩りをするのは大げさではなく、人生を覆しかねない大事(おおごと)でした。
僕は生き物への慈しみを説く昔話や、自然や動物保護活動家の父と姉の影響もあり、普段は不必要な殺生はしません。人里に熊が出たら殺処分というのも納得がいかず、随分憤ったものです。

それがある時、熊の足形を基にしたデザインポーチを作ることがきっかけで、野生動物、特に熊の生態に関心を持ちました。狩人や野生動物を取り巻く環境や生態、里山の歴史や現状を知ることで、考え違いをしていると分かったんです。

里山は人間と動物の世界の臨界点です。かつては里山に暮らす人々により、住み分けの線が引かれ、また山に手を入れることで動植物の生態がバランスを保ち、自然が守られてきました。
今は里山人が消えたことで、動植物の絶滅危機や環境破壊が起こっています。革の所でも触れましたが、群馬の熊猟師の彼は里山人として生活し、またその使命を受け止めている人です。
彼に誘われて、その年の猟を占う、非常に大切な初猟に参加させてもらいました。生き物を殺すことへの躊躇を感じながらですが、決心をして参加しました。
その後も動物を自分の手で殺すことへの抵抗感があり、また生皮をくれる猟師さんがいたので、必要を感じていませんでした。それが次第に生皮の入手が難しくなったのと、一番の問題点の「都会にいながらの狩り」が、昵懇の兵庫の猟師さんの助けでクリアできることになり、覚悟を決めました。
今は色々な資格を順調に入手中。今年の猟期から本格的に狩りをします。


実際に狩りを経験されてどの様に感じていますか。

本当に大変です。
体力がないとできません。お金もすごくかかります。
また野生動物は命がけで向かってくるし、こっちも本当に命がけです。命のやり取りをすることから、色んな覚悟がいると感じました。

ゲームハンターといって生き物をゲーム(標的)としか見ない人が、結構多い。
僕の師匠(群馬の猟師)は「なるべく苦しませずに逝かせてやりたい。できる限りすべてを利用して、供養もきちんとしたい」と考えていて、僕も同様です。こういう考えの人は希少。普通、狩りは多人数でやるのですが、ゲームハンターとは一緒にやりたくないので、単独での猟になるかな。

僕が初参加した群馬での初猟は、ブログに掲載してあるので、興味のある方は読んでみてください。


狩りをはじめられたのは、自分で獲った獲物の皮を自分で鞣して作品に使うため。そして作品にその経験をフィードバックさせていくためですが、実際に狩りを経験されるようになって、作品やご自身にどの様な変化をもたらしていますか。

大平原進出後のラコタ族は狩猟をしていたので、より彼らの感覚に近くなってると思います。
初猟に参加してから作品に何かが籠もっていると感じます。
「猟」をキーワードにすると理解できた柄の意味もあります。それは頭で考えて分かるのでなく、実際に参加し、身を置く決心をしたことによってではないかと思います。これから猟をすることで、より一層、今までと違った視点、昔のラコタに近い視点で物事が見られるようになるのではと、期待はしています。
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