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虹から授かりし色 |
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まだあまり日本人に馴染みのないラコタ・ビーズ・クラフトですが、これについて少し紹介してください。
ここではビーズに限って話したいと思います。
一番大切なのは、農耕民族と狩猟民族で感覚が違うこと。前者は母なる大地を耕して恵みを得ますが、後者はその上で暮らす動物との食物連鎖の中で生きています。それゆえ狩猟民族は、獲物のパーツを装飾にする感覚が一般的です。
古くから動物の骨をビーズ状にしていましたが、かなり大きく、今のビーズ加工とされる物と異なる使われ方でした。現在のビーズ加工に近いのは、クイル細工というカナダヤマアラシの針毛を染色した物です。模様の自由度が限られ、シンプルでしたが、現在のビーズ模様の基は、大体がクイル細工の時代の開発です。クイル細工自体は有史以前の物です。
19世紀に、白人の交易商からビーズが入るようになり、取り回しの自由さ、色彩の鮮やかさから、クイルで作られていた工芸が、瞬く間にビーズに取って代わられました。狩猟民族は常に移動するので、短時間で制作でき、クイル細工の模様のシミュレーションがしやすい、レイジー技法が主流でした。
居留地入り後、制作時間の増加や外部との交易で、柄は複雑になりました。また、宣教師が新しいヨーロッパのビーズ技法を伝え、交易でコーカサス地方のラグなどが入ることで、その幾何学模様を取り込み、さらに複雑化しました。居留地入りまでは、意味のある柄が多かったようです。
その後、各アーティストの感性による制作が増え、意味の方は衰退しました。もともと無文字文化で、一度廃れると継承されず、殆どの柄の意味は失われました。
ありがとうございます。
それでは次に氏の作られるラコタ・ビーズ・クラフトの特徴や、その独特の色彩などについてお聞かせください。
柄はラコタが居留地入り前の、クイル細工時代からのシンプルな物です。
複雑化した模様は、各アーティストの感性による物が多いせいか、作っていて落ち着かないし、尻の座りも悪いです。誰かの感性をコピーしている感覚がハッキリあり、面白くない。
最近は幾何学模様より抽象的な絵が増えてきました。居留地入りし、外部との交易で失われましたが、幾何学模様は女性、抽象絵は男性が使うルールがあったんです。
でもこれは、ルール云々ではなく、自分の感覚が合ってきたからです。
色は、恩人がネイティブアメリカン・チャーチというインディアン独自の解釈のキリスト教のロードマンで、その影響を色濃く受けました。
ネイティブアメリカン・チャーチはラコタ独自ではなく、むしろラコタで広まったのはかなり後期です。この教会の一派は、現在も政府から許可を受けて、幻覚性サボテンのペヨーテの作用でビジョンを得ることを大切に考えています。ビジョンは色彩に表れやすく、虹色が多い。
恩人にも「虹を見なさい」と教えられ、恩人のファミリー(つまり僕のファミリーですが)は、虹色がファミリーカラーだったので、自然と虹を多用するようになりました。
色の使い方は、虹をベースにした上で、濁らせないようにラコタの伝統色を組み上げます。
しかし、技法も色々ある上、難しい。二色の隣り合う色が濁らずに、互いを引き立たせる色であっても、全体的に見ると大きな濁りになることも。
ラコタのアーティストの本当の上手さは、相性の良くない色をくっつけても、全体に非常にクリアに突き抜けていることです。現地の自然環境の中に暮らすことでできるのでしょうね。
日本での生活は、都市特有の色彩の影響を受けやすい。それを避けるため、体系立ててラコタの昔と現在の色遣いを考えるようにしています。
あと、コントラスト、レンジ、面積と色の関係、形状と色との関係を自由自在に使いこなせるよう、すべての制作にテーマを決めています。
その成果もあり、自分なりに再構築した虹ベースのグラデーション「フルーツ・グラ」は、ラコタを含むアメリカのアーティストからも「岡居にしかできない」と評価されました。わずかな色の差で雰囲気が全く変わります。色彩は天性のものもありますが、努力もしました。
テーマを決めての制作は、毎日が結果の出る勉強です。
ビーズも、透明やメタリックを使えば、高級感が出て綺麗に見えます。でも、リクエストがない限り、ノーマルビーズだけで、そういったビーズの時以上の効果を出せる努力をしています。 |
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